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(聞き手)株式会社スターダイバー 米津香保里

たくさんの作品を世に送り出しているプロ作家の皆さんにも、
もちろん最初の1冊はあります。
処女作を出版した経緯を中心に、出版にまつわるお話を伺いました。

実体験を通してつかんだテーマが導いた、作家への道

ルポルタージュ・コラムの名手 上原隆さん

 

photo 自尊心の危機から生まれたテーマ

——上原さんは、市井の人に焦点を当て取材した独特のスタイル(ルポルタージュ・コラム)をずっと書き続けていらっしゃいます。そもそも、このようなスタイルで書きはじめたいきさつは?

上原:私が最初に書いたのは『「普通の人」の哲学』(毎日新聞社)という本で、これは鶴見俊輔論です。その次が『上野千鶴子なんかこわくない』(毎日新聞社)っていうフェミニズムの本。フェミニストにやられる男の話ですね。
 この頃の自分はいっぱしの学者気分で、雑誌『思想の科学』の編集委員に呼ばれて行って、毎月1回の編集会議に参加していました。そこで哲学者の鶴見俊輔さんとか評論家の加藤典洋さんとか、作家の黒川創さんとかといっしょに企画会議をやるわけです。
 ところが私の知識と教養の範囲だとぜんぜん太刀打ちできないんですね。たとえば、その頃は橋爪大三郎さんや竹田青嗣さんのように現代思想をやさしい言葉で語る人たちが出てきた時期です。そこで「やさしい文章の魅力っていうのを雑誌の特集にしましょう」と私は言うんですが、「つまらない」と一蹴されてしまう。「そんなのは平凡すぎて企画としてダメだ。むしろ『私の好きなわかりにくい文章』にしよう」と。つまり、私の企画にはひねりがないということなんです。
 そんな感じですから、月1で毎回落ち込むんです。ぜんぜんダメだなあと。自分なんかは物の考え方もひねりがないし、問題を深くつかめていないし……と。
 そうやって何回も落ち込んで、「もう編集会議に出るの嫌だなあ」と思ったりしていたときに日記を読み返していたら、自分が落ち込むのはいつも自分が認められないときで、これは小学生のときからそうだったなと気づいた。自分がその場で認められないことの辛さ、というか。自尊心の危機ですね。
 ちょうどそのときに「男の家事を特集しよう」ということで、「家事の宇宙」という特集がありました。たとえば妻と別れた男は家事をしなくちゃいけない。「上原さん、そういう男をルポしたら」って鶴見さんがおっしゃったんですよ。
 そこで「別れた男を探さなきゃいけないですね」ということになりまして、鶴見さんは「探し出したら一緒に一晩ぐらい泊まるんだよ」と言うので、実際に男性の家に泊まって食事の作り方とかをルポしたんです。それが「別れた男たちの家事」という記事で、まあ評判になった。作家の関川夏央さんは「これは面白い、1冊の本にしたらいいよ」というファクスを送ってきてくださって。
 自分のスタイルとテーマが決まったのは、そのときです。自分のテーマは「自尊心が傷ついたときにどうしたらいいのか」ということを考えることではないか、と。そして、自分のことだけではなく、そういう状況に置かれている他人のことも知りたいなあと思ったんです。
 そんなふうにして書いた記事を集めたのが『友がみな我よりえらく見える日は』(学陽書房、後に幻冬舎アウトロー文庫)です。この1冊を出したら、鶴見さんも「この方法はいいんじゃないか」と言ってくださったので、このスタイルで行こうと思った。学者はやめにしました(笑)。

 

漠然としたものを抱えている人が面白い

——現在まで、このルポルタージュ・コラムというスタイルで5冊の本をお出しになっていらっしゃいますよね。いつも取材対象者はどのようにして探していらっしゃるんですか。

上原:1つは、読者からの手紙やメールです。「お話を聞かせてくれませんか」という形で手紙やメールを募ったりとか。それと、そうやってやり取りさせていただいた方に「友だちも紹介してください」とお願いをしたり。
 いただいた文面を見ると、「夫を交通事故で亡くしました」とか「肺ガンの家族を看取りました」とかいろいろあるんですが、読んだときに直感が働くんです。「これはいけそうだ」って。実際にお会いしてみると、そのうちの3割ぐらいは行ける。
 往々にして、誰もが感動するだろうなという話はダメです。「癌の夫を3、4年かかって看取りました」という奥さんの話とかは意外と面白くない。逆に「自分は結婚しているけれども昔の恋愛のことをときどき思い出します」というような、小さな話なのに、本人に会うと意外にググッと来るものがあったりする。
 でも、基本は誰でも会います。「会いたい」って言われたら会うという感じです。あとは街で声をかけたり、ハローワークの前で立って「失業してる人のことを取材してるんですけど」と声をかけたりする。意外と話してくれる人もいます。ハローワークのスピーカーから「事務所の前に不審な人物が立っていますので気をつけてください」なんて言われたりもしますが(笑)。失業は人生のなかですごく大きい出来事です。そこから話を聞けることは多いですねえ。話したいって言う人も多い。だからハローワーク前にはいい人が——いい人と言ったら語弊がありますが——琴線に触れる話をしてくださる方が結構います。

——たとえば、そんな中から生まれた作品を1つご紹介いただくとしたら、どんなストーリーでしょう。

上原:そうですね、たとえば……。
 三鷹のハローワークで立っていたら、ネクタイを締めてとても立派な感じの方が出てきたんです。そのときは朝日新聞で連載していたので、「朝日の者ですけど」と言って近づいた。けっこうみんな信用してくれるんです(笑)。そうしたら「ちょっと僕の話を聞いてくれ」って言うので、喫茶店へ行って話を伺ったわけです。
 その方は元銀行員で、もう18年間東京で単身赴任生活をしていた。私と同年代で、奥さんがフェミニズムに目覚めてヨガの先生になっていると。あるとき銀行がつぶれてしまったので取引先の会社に重役待遇で転職した。けれどもそこもじきに外資系に乗っ取られてクビになってしまったと。プライドが高い人で、「自分がハローワークなんかに来るとは……」みたいな感じなんですね。
 その人には3人の子どもがいて、少し前に1番下の息子が高校を中退して自分の所にきたんです。「ギタリストになりたい」と言うんですね。もともと銀行マンだった方ですから、「高校を辞めてギタリストになりたいなんて、そんなことじゃ生きていけないぞ」って怒った。ついでに奥さんに「なんで俺のところに来させたんだ」と文句を言うわけです。ところが奥さんは「子どもがやりたいと言うならやらせればいい」っていう主義なものですから、「あなたは銀行に勤めていたのに、このザマじゃない」って言われてしまい、ぐうの音も出ない。
 しかたなく息子と暮らし始めるわけですが、単身赴任でずっと1人でやってきたので正直疎ましい。でも、あるとき家に帰ったら窓に明かりが点いてて「なんだかいいな」と思う。子どものために野菜炒めを作ったら、「うまい」って言ってくれる。共同生活の喜びをはじめて知ったんですね。
 その後、失業生活が続いて貯金が10万円しかなくなったとき、やっと奥さんに相談しようと家に帰った。そして「50万円貸してくれ」って奥さんに言ったんですよ。奥さんは嫌だと言う。「貸してもいいけど、いついつまでに返しますという計画書を出しなさい」って言われた。で、彼はそれで嫌になって帰ってきてしまう。
 翌朝起きたら、息子が髪を洗ってバスタオルで拭きながら言うんです。「お父さん、家賃を入れようか」って。その話になったとき、彼がぐっと涙ぐんで、私も涙が出て来ちゃって。いい話だなあと思った。『にじんだ星をかぞえて』(朝日文庫)に入っている「枇杷の木」という話です。

——メールを読まれたり、あるいは直接会ってお話を伺ったりしたときに「直感が働く」ということなんですが、その「いけるか、いけないか」という直感を具体的に言葉にしてみると、どういう判断基準がそこに生じているんでしょうか。

上原:たぶん「なんだか理解できる」ということかなと思うんですけど。「悲鳴」(「正論」平成21年12月号所収)という話のときには、この方は農学博士なんですけれども、こんなメールが来たんです。

 《多数の人間に追いつけないわたしのような人間は、何を支えに生きていけばいいか、本当に思索できかね、毎日苦しんでいます。許されざる者であっても生きていかなければなりません。自分の半端者意識がきつく、生きる意欲を失いかけることがしょっちゅうあります》。

 この「いきなりさ加減」も変だけれども、なんだかすごくグッと掴まれてしまって。それで会いに行ったんですけれども。
 この方のように切羽つまって感情を出してくるのと違って、徐々に自分の気持ちを出してくる人もいっぱいいます。そういう人に対しては、少しずつ会話をしていく。私が好きなのは、どちらかというと「なんとなく不安です」とか、「なんとなく気分が乗りません」とか、「なんとなく」っていう人が好きかな。

——「なんとなく」という漠然としたところに、何かがきっとありそうだなというアンテナが働くっていうことなんでしょうか。

上原:きっと、自分の体験したことを特権的なことと考えてる人は話していてあまり面白くないってことだと思います。不思議なことに。
 たとえば癌になった夫を3年間にわたって介護して看取ったという方で、「もう大変苦労したんです」と言う。会いに行って話をしてると、自分がすごく偉いことをやったっていう気持ちがあって辟易してしまう。それで「本当は自分がノンフィクションかなんかで書きたいんですけど」と言うんですね。「じゃあ、どうぞ書いてくださいよ」みたいな気持ちになっちゃう。
 自分の体験を特別視するのは「何か違うかな」という気がする。そういうのは……ダメですね。理屈がうまく説明できないけれど。
 逆に、「なんとなく」とか「ぼんやり」とか、うまく表現できないものを持っている人には、総じて特権的な意識が少ないということだと思います。

 

「グッときたところ」からその人の自分史を再構成する

photo——先ほどの「悲鳴」ですが、どんなお話か紹介してください。

上原:江藤さんという49歳の男性で、農学博士号まで持ってる方なんですが、とても不器用なんですね。農学博士号を持っているということもあって、害虫駆除や水質検査をやってる会社に入ることができた。
 最初は虫の分類をする部署に配属されるんですが、うまくやれないのでネズミ駆除の部署に回されます。現場で殺鼠剤を天井裏に設置しに行ったところ、梁から落っこちて天井板の羽目を外してしまうんですが、気づかずに帰ってきてしまった。それで「お前のとこのやつは天井を壊してもうんともすんとも言わなかったぞ」と怒られた営業担当が、会社に戻って来て彼を怒鳴り散らすわけです。それで「お前はもう現場に出てくるな」って言われてしまう。
 次は水質検査のほうに回されるんですが、そこでもミスを繰り返します。単純な水質検査をコンピュータ上に出すという作業も、手順通りの操作ができない。請求書を同じお客に2通送ってしまうとか、なぜかミスを連発する人なんです。当然またクレームの電話がかかってきて、今度は電話を受けた事務の女性に「あんたのせいで私が謝り続けなきゃいけないのはどういうことよ!」と怒鳴り散らされたり。
 彼は人から怒られると意識がぼうっとしてしまってうまく対応できない。それを「怒られてもシレッとしている」ととられて、なおさら怒られるんです。そうこうするうちに、江藤さんは一旦解雇されて半分の給料で再雇用されるということになってしまうんです。
 そういう人なんですが、「辛いときはどうしてるんですか」ときいたら、「帰りの電車で日記を書いています」という。日記を読ませてもらうときちんとした字で分析的に書いてるんですね。仕事の内容、ミスの内容なども具体的に。農学博士なんだから、やっぱりちゃんと書ける人なんです。そして自分が生活者として不適応だということを悩んでいる。
 その日記を読んだとき、ここには確実に「悲鳴」があると感じました。生きづらいっていうことの悲鳴です。このことはたぶん会社の誰も知らないだろう。会社では「また怒られるんじゃないか」と思うから無口になって耐えているだけの人なんですね。
 とうとう最後のほうの日記では、「自分が首吊り自殺をするっていうイメージがある」って書いてあったんですよ。私は一緒に彼の家に帰る道すがら、どうしても言わなきゃいけないと思って「自殺しないでくださいね」と言った。書いた方はそんなこと忘れてるから、「えっ」てびっくりした後、「はい」と。
 彼の日記の中にはこんな一節がありました。
《「そんなんで、よくいままで生きてこれたな」と営業部長に言われた。自分の命は自分にとって唯一無二のものなので、そこにズカズカと入り込んで干渉するのは少し無礼なことだ。周りがどんなに言おうが、私の命まで責任を持ってくれるわけではない。私は私の好きなように、生きやすいように生きてもいいはずだ。したり顔の通念や道徳は命と比べればなにするものぞ、である。》
 どんなに周りからバカにされようが、疎まれようが、命のほうにこそ権利がある、ということです。
 私はこの一節をコラムの最後に持ってきました。人の話というのはふつうは整理ができていません。今のことを語ったかと思えば、昔のことを語ったり。どこに重点があるかも最初はわからない。けれども録音したテープを聞いていると、グッとくるところがあるんですね。先ほどの元銀行員の人の話で言えば、息子さんが「家賃を入れようか」って言ったくだりのような。その「グッとくるところ」を中心にしてその人の人生のストーリーを作るというか、再構成していく。
 「悲鳴」では、「社会的には不適応な人間でも生きていいんだ」と江藤さんが掴んだということ。そこを中心に再構成していくわけです。彼の場合もっといろんなことがあるんだけれども、そういう枝葉末節を少し切ったりして再構成していく。
 そうやって書くと、できあがったものを読んだご本人が喜ぶんですね、不思議なことに。「ありがとう」って言ってもらえるんです。私が感じた感動を軸にその人のストーリーを作ることで、その人自身にとっての自分史が物語として立ち上がるということだと思うんです。そのことはご本人にとって喜ばしいことのようです。

——上原さんがお聞きになったことを再構成するという形で、一連のルポルタージュ・コラムは成立しているわけですね。

上原:うん、そうですね。
 江藤さんの日記を読んだときに、やっぱり「悲鳴だ」と思った。それをなるべくそのまま伝えようと。会社としてもできる範囲でのことはしているのだろう。彼は日記に仕事の内容を事細かく書くぐらい真面目にやっている。しかし、うまく適応できない。
 それから何度かこの日記を読みつつ考えてみて、競争社会の中で生きづらい人はいっぱいいるはずだと思ったんです。この声は江藤さんだけのものじゃないだろうと。日記に書いてあるようなことを、恐らく江藤さんは会社では一言も言っていない。それと同じく私たちの周りにも黙って耐えている人がいるんじゃないか。「言いたいことがあったら口に出して言いなさい」というルールがあったとしても、言えない人はいる。その言えない人の悲鳴をこそ聞くべきじゃないか。そういうふうにだんだん考えていった。日記が書かれた大学ノートに彼の悲鳴が隠されているんだ、とだんだん考えが煮詰まっていって書いたということなんですけどね。

 

自尊心が壊れそうなときは「そこにあるもの」を掴めばいい

——最初にこういうスタイルの作品を書き始めたきっかけとして、上原さんご自身の自尊心の問題を先ほど話されました。上原さんは取材を通じて、自尊心の危機に陥った方々にたくさんお会いになっていらっしゃると思います。そういう方々の話を数多く聞いていく過程で、想いの変遷のようなものがあったと思うんです。人間の自尊心について、現在はどのようにお考えですか。

上原:先ほども申し上げたように「自尊心を失ったときに、自分を支えるにはどうしたらいいのか」っていうのが私のテーマです。これに即して言うと、困難なときにその人を支える思想というのはいろいろあります。
 たとえばそれは丸山真男の思想とか、鶴見俊輔の思想とか、吉本隆明の思想とか、いわゆる立派な思想であるとは限らないんですね。
 ある30代の女性は1人暮らしで、結婚はしたいんだけれどもしていない。ジャーナリストになりたくてアメリカの大学へ行って勉強してきたんだけれども、日本に帰ったら全然役に立たなくて、今は電話の交換のアルバイトと子どもに英語を教える塾をやっている。
 か細い声の、身体も細い人でね。「子どもの相手をするのは大変でしょう」って言ったら、「実はそうなんですよ」ってリポビタンDの瓶を出して、1本だと強すぎるからって半分だけ飲んでみせた。2つの仕事を掛け持ちしても生活は苦しいし、結婚したいけれども今は恋人もいない。そういう人です。
 この人に「辛いときにはどうしてるんですか」って言ったら、江原啓之さんの文庫本を出してきた。ポストイットがいっぱい貼ってあるんですよ。「他人を羨んでるときは自分の心が弱くなってるときです」とか、そういう言葉を心の支えにして、塾に行くにも持っていく。何度も読み込んでるような感じでしたね。
 それを見たとき、「江原啓之ってテレビに出てる胡散臭い奴と思ってたけど、確実にここで1人の女の子を支えてるんだ。すげえなあ」と思いましたね。支える力のあるものは、それがどんな思想でもまず肯定したいなという気持ちになってきたんですよ。
 もう1人、これは映画のネガ編集者の方です。その方はPR映画のネガ編集者だったんです。けれどもビデオが主流になってしまって、ネガフィルムを編集する仕事がほとんどなくなってしまった。たまに来る依頼の電話をずっと待ってる。50代前半の女性でした。
 この人の1日をずっと追ってたんですが、結局その日も電話は来なかった。帰り際に「でも、わたしより不幸な人はいっぱいいるわ」って言ったんですよ。「ああ、この考え方もよくあるけど、彼女が言ったら痛切だなあ」と思った。
 「もっと不幸な人がいるから自分はまだまだ大丈夫」というのは差別につながるとも言えるし、そういう考え方はまずいと言うのは簡単です。けれども、その時彼女を支えた限りにおいて貴重な思想じゃないか。肯定されるべきなんじゃないか。そう思ってその話を書きました。
 自尊心が壊れそうなときには、何でもいい、そこにあるものを掴めばいいと思うんですよね。そのことが肝心じゃないかなって。そこにあるのは世の中が認める偉い先生の言葉じゃないなというのが、実感ですね。
 新宿でホームレスをしている人で、竹中工務店の設計技師だったっていう人がいました。本当かどうかはわかりませんが。人が良くて、アルコール依存症だから飲んではいけないのに、友だちが遊びに来ると付き合ってしまう。それで友だちが来ないように引っ越しを繰り返すうちにホームレスになってしまった。
 彼にとっての生きる支え、生きる目的っていうのは、1日に1500円稼ぐということ。それがあるから生き生きしてたんですよ。私は彼に弟子入りして、ずっと一緒に雑誌拾いをしました。駅のゴミ箱に雑誌がなかったら、「絶対前に拾ってるやつがいるんだから、ひと駅先に行け」といったことを教えてくれて。本当に目の前50センチの目標で人は生きられるなと思いましたね。

——そこにあるものを掴むという意味では、この「悲鳴」を読ませていただいて、私は「奥さんがいい人なんです」っていうところがグッと来ました。「ああ、よかったなあ」って。会社では失敗ばかりしている江藤さんは、「幸せだなって感じるのはどんなときですか」っていう上原さんの質問に対して、「奥さんがいい人なんです」って、一言お答えになるんですね。周囲の人が支えになってるっていうケースも、やっぱりあるわけですよね。

上原:それはありますよね。たとえば会社だったら原理はひとつで、競争とか利潤追求ということになりがちです。そこに適応できないときに、他の集団の中で自分の位置を求めるというのはすごく重要なことかなと思うんです。もちろん家族やパートナーを含めて。
 『にじんだ星をかぞえて』の中に「縁側」っていう短い話があります。これは私の知人の加藤さんという方が東京郊外の国立市に住んでいて、そこで毎週火曜日に集まって歌謡曲を歌っている。そこへ「上原さん、来ませんか」って誘ってくれたんです。
 3年前のことですが、私はちょうど会社員を辞めて、友だちも少ないので話し相手もいなかった。そんなときに誘ってくれたので行ったんですね。
 そこには、60歳前後の方が4人集まっていた。電動車椅子に乗った男性がいて、その奥さんがいて、私を誘ってくれた加藤さんと、もうひとり社会科の先生をしている女の人がいた。加藤さんのギターに合わせてみんなで『十九の春』とか『お富さん』とか、懐かしい歌謡曲を良い気持ちになって歌っていたんです。
 主宰していた障碍者の方は鹿児島の人で、子どもの頃におばあちゃんが縁側に座って歌をいっぱい教えてくれたという。おばあちゃんと自分たち子どもにお母さんも加わって、みんなで縁側で明治時代の歌なんかを歌った。その気持ちがよみがえるんだって言うんです。
 そこで一緒に歌っていたら、ああこんなふうに縁側で歌ってたんだな、楽しかったんだろうなって私も思いました。社会的役割を終えた年代の人たちが集まって歌っているのっていいなあと。
 帰り際に加藤さんがギターをしまいながら「上原さん、また来ませんか」って言うので、その後も行っているんですが、なんていうかな……効率とか、社会一般の原理と違う集団とかパートナー。そういうものは人を支えますよね。

 

「自分を支える思想」から教訓を引き出してはいけない

——「自分を支える思想」ということについてなんですが、たとえば他人よりは自分のほうがまし、という考え方や、江原啓之さんのようなある種のオピニオン・リーダーの言葉。あるいは集まって歌うような身近な人との絆。それから「1日1500円は稼ぐ」といった小さな目的といった例を挙げていただきました。他にはどんなものがあるんでしょうか。

上原:以前に「うつ病」(所収『友がみな我よりえらく見える日は』)という話を書きました。何度も看護師になろうと思った男の人ですけど、勉強がうまくいきそうになると病気が出てしまう。それは抗いがたいもので、受け入れるしかない。彼曰く「何度挫折しても、方向性だけは微動だにしていない。そういう挫折を含めて自分だ」ということなんです。たしかに病気は本当に仕方がない。受け入れるという形で自分を支えるしかないということなのかなと思います。

——そうやって誰もがなにがしか、「自分の支え」を編み出すわけですね。

上原:そうですね。ただ、書く側としてはある人の話を描いて、そこから教訓みたいなものを引き出してしまうと安っぽくなる。私の教訓はだいたい「みんなで民主主義を守ろう」とか、そんなものになりがちなので(笑)。
 『思想の科学』の頃は、思想的なことや教訓を伝えなきゃいけないと思って書いていましたが、どれもいい文章じゃなかったですね。すごく苦労して書くんですが。鶴見さんに見せると、あの方は「よくない」と思ったときは無言なんですよ。できがいいときは天にも昇るほどほめてくれるんですが。苦労して思想や教訓を伝えようとした文章は、ほとんど不合格だったなあ。鶴見さんはなにも言わずに歩いて行ってしまう。

——今でも鶴見先生に向かって書いているというイメージですか。

上原 いや、それはないかな。ほぼ読んでくれていないでしょう(笑)。

 

「共感する力」がいま求められている

——以前、新年会か何かで上原さんとご一緒したことがありました。そのときに上原さんがひと言お話されたのが、ネットカフェの取材をしてみると社会につながってない人ばかりがネットカフェにはいるなあと感じたと。「だから、今年は友だちを大切にします」とお話されていましたね。ネットカフェでの取材は「大晦日の夜と元日の朝」(所収『胸の中にて鳴る音あり』文藝春秋)という作品になっています。やはり、ネットカフェには社会的なつながりを失っている方たちが、大勢いらっしゃったという印象ですか。

上原:そうですね。そのときは、東京の蒲田にネットカフェで一番安い所があるっていうので、大晦日に取材に行ったんです。自分も中に入って、それから入り口で出てくる人をつかまえて、話を聞かせてもらうというので。大晦日は仕事がないものですから、みんな時間を余らしている。それでいろいろ話をしてくれるんです。
 そのネットカフェはじきにいっぱいになってしまって、そのあと来る人はもう入れない。「どうするんですか」ときいたら、もう1ヵ所あてがあるけれども、「そこもダメだったらもうアオカン(屋外)だ」と言う。
 ネットカフェって行ったことあると思うんですが、リクライニングシートでみんな寝ているんですね。リクライニングで寝るのは苦しいんですよ。床に寝たほうがよっぽど楽なんだけど、そういう人が多いんでしょう、「床には寝ないでください」って注意書きがしてある。なんていうか、収容所にみんないるような感じがしてきました。「元旦の朝だっていうのに、なんていう感じだろう」と思うと、なぜか笑ってしまったりして。

——そんなふうに、いわば社会的に排除されてしまったような方々にも、上原さんは多く会ってこられています。その経験を通じて、排除された人たちを包摂していく、社会全体が受け止めていくためには、私たちは何を心がけていったらいいとお考えでしょう。

上原:そうですね……。私のやってる仕事にどういう意味があるのかと考えると、読んでくれた人が何かグッと来るということ。ある種の共感です。登場する人の悲しみや悔しさが「わかる」と感じる。その共感を呼び起こすというのが一番の根本じゃないかなと思うんです。
 昔はイタリア・ネオリアリズムの『鉄道員』っていう映画とか、悲しい映画がいっぱいあったんです。そういう映画を観てはみんなよく泣いたりしていた。そこには「かわいそうだな」っていう気持ちもあるし、「支えたい」っていうような共感の気持ちがあったんですね。
 そういうものを「ジメジメしてよくない」と否定したり、あるいは私なんかもそうなんですが、共同体的なものを「息苦しいから嫌いだ」という感じで排斥していった結果が、いまの状況なんだと思います。でも、やっぱり共感する力がなきゃダメかなと思う。さっき言った、実利的な目的意識を持った組織ではない集団の中で関係性を作っていくっていうことが大事かなと。

 

非常識なまでの正直さ

——関係性を作るという点では、上原さんがインタビューのときに心がけていらっしゃることもあると思いますが。

上原:基本的には正直に話してもらわなきゃいけないので、笑顔を忘れずに、安心感を与えるっていうことがまず第一。それと、私のほうも正直にならなきゃダメです。常識の枠に沿ってわかったふりをしてしまうのが一番いけない。
 二分脊椎症のお子さんを抱えていた打海文三さんっていう作家がいるんです。もうお子さんは亡くなってしまったんですが、長い間ずうっと支えていた。食事を自分で噛みくだいて子どもに食べさせなきゃいけないくらいの重い障害です。
 打海さんにインタビューしたとき、私はこんな質問をしたんです。

 《さっきから、私は、障害をもった子が亡くなった時、親はどんな気持ちになるのだろうと想像していた。
 「ほっとしましたか?」私がきく。
 「子どもが死んでほっとしたかということですか?」打海は私に質問の意味をきき直した。
 〈なんてことを聞いたんだろう〉と後悔したが、すでに遅かった。
 「それはね、半分はあるんですよ」打海は小さく笑う。「生きている時からある程度予想はついていましたけどね。この子がある時逝けば、自分の中にポッと空洞ができるだろうというのと、やっと解放されたなって気分になるだろうっていうのが半々だろうって」》(「小さな喜びを糧に」所収『喜びは悲しみのあとに』幻冬舎)

 こういう質問をしちゃいけないとは思うけれども、正直なところ、大変な障害を抱えた子どもが亡くなったとき自分だったらほっとするかなと思ったんです。たぶん多くの人はそんな質問しないですね。大人としての常識のある人は。私はすごく低俗な人間なので、そういうことを質問してみたくなっちゃうというところがある。それがある種の取り得かなとも思ったり。質問するときにはそこまで考えてしているわけではなくて、自然に出てきてしまうだけですが。

——聞かれた方も、皆さんちゃんと答えますよね。「悲鳴」の江藤さんも、これだけ悲惨な会社で本当に辛い目にあってる方に、最後の場面で上原さんが「幸せなときってありますか」っていう質問をされている。読者としては「幸せなんか感じてる余裕はないでしょう」って思うんですが。ところが上原さんがお聞きになると、「いや、妻といる時間が幸せなんだ」って答える。ちゃんと本音を語ってくださるっていうのは、やっぱり上原さんの正直さが相手に伝わるからだと思います。

上原:どうなのか……多くの場合は苦笑されますね(笑)。でも、やっぱりある種の信頼関係がなければそんなこと言わないでしょうね。

 

「普通」の中に立ち入るとドラマがある

photo——ところで、今後のお話をちょっとお聞きしてみたいんですが、どういう方々に取材して、どんな作品を書いていきたいと思っていらっしゃいますか。

上原:基本的には変わらないんです。ただ『友がみな我よりえらく見える日は』を書いたときには、たとえばリストラされる人はまだ少なくて、そのことを書く意味がすごくあった。ところが時代と共にリストラは蔓延してしまって、悲惨とはいえ一般化してしまっているところがあります。
 それから、ホームレスとかキャッチセールスとか、そういう人たちを1回取材して作品を書くと、同じような取材はできないというか、また取材しようというふうな気持ちにはなりづらい。
 そういう意味で、だんだん取材対象が狭まってきています。最近書いたものには、目に見えて面白いとか特殊っていう人ではなく、普通の人が増えてきたかな。普通というのは変ですが。
 私がまあまあいいかなと思ってるのは、『胸の中にて鳴る音あり』(文藝春秋)に入っている「ひとりの男だけを」という話です。これは普通の夫婦、50代になった本当に普通の夫婦なんです。学生のときにその夫に嫁いで、もうずうっと長いことその人と一緒という奥さんからの話なんですけど。これがすごく面白かった。たとえば、夫にどうやら女の人ができたみたいで、夫婦喧嘩をしたというくだりなんですがね。

 《翌日から、朝子は憲一とはいっさい口をきかなかった。憲一は毎日早く帰ってきて、しおらしくしていたが、朝子は許さなかった。ぎくしゃくとした関係が続いた。
 〈このままなんとなく過ごしていくのはまずい。かといって、彼を問いただして事実を知ったらもっとつらくなりそうだし、どうしたらいいだろう〉朝子は悩んだ。
 二週間たった夜、朝子は憲一に「セックスをしましょう」といった。
 「ボクでもいいの?」と憲一がいった。その表情は〈許してくれるのか?〉ときいていた。朝子は憲一を抱いた。
 「私が奥さんだから戻ってきてほしいんじゃないの」朝子がいう。「私のことが好きだから戻ってきてほしかったの。わたしに魅力を感じてほしかったからセックスをしたんです」
 「そんなときにセックスをしましょうっていうのは勇気がいるでしょう」私がきく。
 「ええ」朝子は左手の中指と薬指にはめた指輪をさわっている。「『セックスしましょう』って私からいったのはあの時の一回限りです」》
 
 この人はなかなか知恵のある人で、夫が浮気してるっていうのをとがめたいんだけれども、そのときに理詰めでいかなくて「セックスしましょう」って言ったのは、すごく賢いなあと思って。傍からみたら幸せそうな50代の夫婦なんですが、中に立ち入ってこういうやりとりを聞いていくと、いろんな葛藤やドラマがある。こういうものが最近多くなってきてるかもしれません。

——最初の頃の自尊心というテーマから少しずつ変容しているような気もしますね。

上原:なるほど。そうかもしれません。
 最近自分の作品を整理してみたんですが、今のところ100人くらいの人たちについて書いています。
 書くときにどういうポイントでグッとくるかというのはいろいろで、自分なりに3分類しています。ひとつは「感情の真実」というタイプ。
 たとえば、親の介護をしている元キックボクサーがいたんです。懸命に介護をするんですが、ぜんぜん感謝されないし、辛くて辛くてしょうがない。あるとき友だちの家に遊びに行ったら、その家のお母さんがやはり親の介護を経験していたんですね。ぜんぜん年も離れているんですが、そのお母さんが自分の苦労をわかってくれたんですよ。友だちの家には座椅子があって、「良い座椅子だね」って言ったら後から同じものを送ってきてくれた。お礼の電話をしたらそのお母さんが出た。「あなたにプレゼントよ」って言われた……。
 この話は「そこに自分の苦労をわかってくれる人がいる」という感情、そこがキーワードになっています。その「感情の真実」をいかにつかまえるかという類型です。
 2つ目は「生きる構え」。さっきの江原啓之の本や、仕事とは関係のないグループで歌うことの楽しみのように、生きていく上での支えになるものがあるという話ですね。
 そして「変わったこと」。ホームレスやキャッチセールスといった題材はこれですね。探偵の女性を取材したこともあります。いわゆる「別れさせ屋」の仕事を、彼女は喜びを持ってやってるのかどうかを聞いた。これは面白かったですね。
 今書こうとしている話は3つのうちのどれかな……と考えながらやっています。

——上原さんのテーマはむしろ広くなってきているのかもしれませんね。今後の作品が楽しみです。
 本日はありがとうございました。

■上原隆 profile

1949年神奈川県生まれ。立命館大学卒。
映像制作会社勤務のかたわら、雑誌『思想の科学』で執筆活動をはじめる。
「自尊心が粉々になりそうなときに、ひとはどのようにして自分を支えるのだろうか」をテーマに、挫折や困難に直面した市井の人びとをモチーフとしたルポルタージュ・コラムを執筆、高い評価を受けている。著書に『喜びは悲しみのあとに』(幻冬舎アウトロー文庫)『雨の日と月曜日は』(新潮文庫)『にじんだ星をかぞえて』(朝日文庫)など多数。



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