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連載:私が手がけた本

版元の編集者さんに、本づくりにまつわる思い出話を披露していただきます。

唐沢暁久さん(講談社BIZ編集長)

『世界の見方・考え方』 大前研一 (1991年2月 講談社 刊)

『世界の見方・考え方』 大前研一

 書籍の編集を仕事にして、通算するともう15年を超える。駆け出しの頃は本当に恥ずかしいことばかりで、今でもおバカだった自分に呆れてしまう。書籍の編集というのは、先輩が具体的なスキルを教えられない仕事なのだとつくづく思う。
 駆け出しの頃は、先輩編集者が担当する何人かの著者の本造りのお供だった。その中でもとりわけ恥ずかしい思いをし、恐怖におののいた著者は、大前研一さんである。
 ぼくがはじめてお会いした1990年当時の大前さんは、『新・国富論』という60万部を超える大ベストセラーを出した直後の大変な勢いのある頃だった。今まで出会った誰よりも圧倒的に仕事に厳しく、自分が能力を認めない人間に対しては殊にそうだった。先輩と一緒に打ち合わせに同席しても、ぼくなど存在しないも同然で、こんなことで編集者なんてやっていけるのかと悩んだものだ。おまけに打ち合わせに遅刻したことがあり、そのときはぼくが来るまで20分くらい打ち合わせが始まらず、怒りが爆発しそうなのに出先なので何とか我慢している先輩編集者と大前さんを前にして、どれくらい嫌な汗を背中に流し続けたかわからない。
 ゲラをお届けするときも気を遣った。会社の封筒ではなく、ひもをボタンにぐるぐる回して封をする見かけが立派な封筒を伊東屋で探し、その中に丁寧に入れて大前さんのオフィスに届けた。原稿ができ上がるまでは本当にあれやこれやと夜中にうなされるようなことが続いたが、最後のダメ押しは表紙だった。大前さんの希望は、山藤章二さんに挿画を描いてもらうことだった。山藤さんに快諾してもらったところまではよかったのだが、出来上がってきた絵が大前さんの描くイメージと違っていたのだ。これは編集者にとって悪夢そのものの出来事である。しかし正直に伝えるしかない。会社ではどうも電話しづらく、週末に自宅から山藤さんに電話したところ、
「気に入らないのなら、使わなければいい。私は、描き直しはしません」。ガチャリ。
 この返事を大前さんに言わないといけないのかと思うと暗澹たる気持ちになったことは、今でもよく覚えている。しかし本当に助かったのは、秘書の方が素晴らしく配慮が行き届いた方だったことだ。その方にこの件を伝えると、自分がよく説得するからとおっしゃっていただき、どうにか大前さんに認めてもらった。
 そんなこんながあって、最後に残った仕事が、オビのコピーの打ち合わせだった。たしか何かの都合で日曜日だったと思う。大前さんの自宅に伺うことになった。私が先輩編集者よりもちょっとばかり遅れて着いたのだが、本当に意外なことに、リビングに入ったぼくに大前さんが手を挙げて「おう、来たか」と招き入れてくれたのだ。すべての苦労が報われたと思った。帰り道で先輩編集者はにやにやして「やっと仕事を認めてもらえたな」と言ったものだ。
 こうしてできた本、『世界の見方・考え方』は30万部近く売れ、ベストセラー作家・大前研一の地位を不動のものにした。でも、ぼくにとっては、初めてのベストセラーというよりも、どんなに巨大な存在であっても、食らいついていきさえすれば、いつか道は開けるものだという確信を得られた1冊だったと思う。

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